ふたばの芽〜私の好きなクジラの話

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私の好きなクジラの話をします。ヒゲのあるヒゲクジラ、体の大きいザトウクジラ・シロナガスクジラ、口の形が特徴的なセミクジラ。中でも私はマッコウクジラが好きです。
名前の由来となるマッコウとは、古代で珍品とされた龍涎香(りゅうぜんこう)[マッコウクジラの体内でまれに作られる結石]が、抹香の香りに似ていることからそのまま名前になりました。

丸みのある頭の中には脳油という脂質があり、この液体は25℃になると固まります。頭の上にある鼻の孔から海水を吸い込み、脳油を冷やして固めて比重を大きくすると錘(おもり)の代わりになります。この脳油によってマッコウクジラは垂直に潜水・浮上を行うことができます。
この脳油のしくみのすごさに私はびっくりしました。古くは生存競争にやぶれて深海のイカを主食とするようになったと言われているマッコウクジラですが、環境に適応するため体内にこんな器官をつくり出す適応力、生命力、すごい。

マッコウクジラはクジラの中でも潜水能力に特化していて、生涯の3分の2を深海で過ごすと言われています。人間が容易に入ることのできない深海で、彼らは捕食以外になにをしているのか。
また、クジラ全体でいえますが、彼らは高い知性を持っていると言われます。何を見て何を感じ、何を考えているのか。気になります。

いつかホエールウォッチングに行って、本物のクジラを見てみたいと思っています。

F.S

ふたばの芽〜春はすぐそこ

今日は雲がぼんやりと浮かんだ良い青空でした。
北出丸の家のカーテンを開けると、日光に照らされて眩しかったのですが、春が少しずつやってきたんだなぁと感じれました。春が待ち遠しいです。

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最近、図書館でDVDを借りてきて鑑賞するのが好きです。
特にディズニー映画を見るのですが、物語全体が夢や希望にあふれていて、魔法やファンタジーがたくさん詰まっています。それをみていると自分のやりたいことや夢が次々と溢れてきます。
夢を抱きながら、明るい楽しい未来へ変化していきたいなぁ。

ふたばの芽〜自然との付き合い

皆さんは自然は好きですか?

私はあまり好きではありませんでした。田舎より都会に憧れます。
自然が好きではない理由は虫が苦手だからというのが大きいです。自然には虫が付き物ですよね。
祖父母の家が自然豊かな山にあったのですが、そこへ行くと虫だらけ。半泣きになりながら逃げ回っていたのを思い出します。
虫嫌いということがなくても、そもそも草花にあまり興味が無かったように思います。

そんな私も最近少し変わってきたようです。

春に北陸新幹線が開通しますね。私の家のそばも通っていて、散歩をするとき少しずつできていく様子を目にしていました。上越も都会になっていくのかなとドキドキワクワクしています。
しかし、最近になって少し寂しさも感じるようになったのです。それは高架下がアスファルトで舗装されてしまったからです。舗装前は雑草が生え、野花が咲いていました。アスファルトだとこんなに風景が違うものかと驚きです。何だか殺伐とした気持ちになります。
この寂しい気持ちは何故だろう…。
振り返れば「可愛い花だな」「こんなところにふきのとうが!」などと楽しく散歩していたのを思い出します。

それで気付きました。私、いつのまにか自然が好きになっていたんだ、と。

きっと花が好きな母の影響です。渋々花を植える手伝いをしていましたが、その花が元気に育っているのを見るとほんの少し嬉しくなります。
それから道端に咲く野花や木々にも目がいくようになった気がします。
時々山や高原へ行って景色を眺めたりもします。

今では自然もいいものだと思うようになりました。虫は苦手なままですけどね。

ふたばの芽〜「秘密の花園」バーネット 著/土屋京子 訳

苦手な冬がやってきました。土日で一気に根雪になり、寒さが身にしみます。
冬特有の鈍色の曇り空が何日も続くと気が滅入ります。けれど、春のあの豊かさと鮮やかさを思うと冬のいうのは耐える時期なのかなと、ぼんやり考えながら雪かきをしています。

今日は先日読んだ本を紹介します。
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「秘密の花園」バーネット 著/土屋京子 訳 (光文社古典新訳文庫)

インドに住んでいるメアリはそこで父母を亡くしたった一人残された彼女は、イギリスのヨークシャーにある大きな屋敷に住む叔父に引きとられます。そこで叔父の亡き妻が大切にしていた庭園を見つけます。

この物語のキーワードは「笑い」と「魔法」。

メアリが屋敷内の広い庭園や菜園を散策していると10年間手つかずにされた庭園を見つけます。彼女はそこを秘密の花園と名付け、毎日通うようになります。日に日に食欲も増えて屋敷の人とも話すようになり、よく笑うようになります。静まり返っていた花園が冬から春にかけて少しずつ色づきはじめ地面の下から草花が芽吹き豊かになってゆく様を見て、彼女は心を躍らせます。
自ら体を動かして行動すること、人と話し声を出して笑い、目の前で生きている自然の豊かさに触れること。こうした体験は当たり前だけれど、とても大事なことです。それが子供でも大人でも。

もう一つのキーワード「魔法」は叔父の息子コリンに関係しています。
病弱で寝たきりのコリンはいつも”良くない魔法”を使っていました。自分は長く生きられない、そのうち死ぬんだと、気のふさぐようなことにばかり思いを巡らして。彼はメアリと出会い屋敷の外に広がる自然の豊かさを知り、だんだんと生きる気力を養ってゆきます。
魔法の第一歩は『きっといいことが起こる』と口に出して言ってみること。
上手くいかないかもしれない、失敗するかもしれない。そういうことを実際に口に出すと、それは”良くない魔法“となって自分の身に降りかかってくる。
大げさかな。自分自身、何度となくそういう悪い連鎖に陥ったことがあるので、ただのフィクションだと割り切れずにいます。
この物語を読んで、小さいけれど大きな力をもらいました。

皆さんもよければ手に取って、暖かい場所でお茶を飲みながらこの物語を楽しんでみてください。

ふたばの芽〜歩く姿はその人の人生そのもの

七月の初め頃の話です。休日の午前中に買い物に出かけ、新井の街中を車で移動していたときのことです。

赤信号で止まっていると六十代くらいの男の人が一人歩いてきました。
暑い日だったので帽子を被っていたと思いますが、手拭いだったかもしれません。服は藍色の甚平に足元は確か足袋かサンダル、右手にはお弁当の包みをぶら下げていました。
そんな恰好のおじさんが目の前の横断歩道を悠然と、ゆっくり歩いてゆくのです。前を向き背筋を伸ばして、ゆったりと。
まるで、その男性の周りだけ時間の流れが違うような、それくらい不思議な雰囲気を纏って。

私は思わず信号が変わっても見えなくなるまで歩く様をながめていました。

歩く姿はその人の人生そのもの、という言葉を聞いたことがあります。
人目を気にしがちな私にとって、その情景は深く心に残りました。

人目を気にするのは自信がないから。
自分の置かれた状況や生きることへの不安があるから。
しばしば焦る気持ちにもとらわれます。

この些細な出来事は、そういう気持ちに少しだけ変化をもたらしました。
そんなに思いつめずに、肩の力を抜いて背筋を伸ばして、周りの景色をながめてみよう。そんな気持ちになります。
そうやって些細な出来事に心を寄せて深呼吸をして、私はまた私の道を歩いて行こうと思います。

名も知らぬ男性に感謝を。

 

2014/8/6 F(女性)