ドキュメンタリー映画『千年の一滴 』

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本日の居場所では、お客様から、ドキュメンタリー映画『千年の一滴 』が高田世界館で上映されるというお知らせを頂きました。その方も高田世界館を応援しているそうです。


本日のお昼は、若者が大根の煮物と玉子料理をしてくれました。

はじめてここを訪れた若者達も居ました。

ふたばの芽~悲しい音楽はなぜ悲しいのか

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皆さんは悲しい音楽は好きでしょうか?

私がピアノを弾くことに興味を持ち、楽譜を読み鍵盤を叩くようになったのは中学生の頃でした。家に置いてあった当時もうすでに古くなっていた電子ピアノの前に座り、初めて買った楽譜にならい白鍵を押す。耳に馴染んだTVゲーム音楽のメロディーが聴こえたことに小さな感動を覚えました。

音楽には数多くの規則や性質があります。音楽の性質を解読する試みの起源は古代ギリシャの数学者ピタゴラスまで遡るそうです。それから何世紀という時間をかけ、人は音の秘密を探しだし、積み上げてきました。

その性質の根幹の一つにコード、和音があります。相性のいい音を組み合わせると心地よい響きがするのです。たとえばドミソの音を同時に鳴らすと明るく、整った響きになります。ところがミの音を半音下げた左隣の黒鍵に置き換えると、今度は整ってはいますが暗い、物悲しい響きがします。
次に音階、スケールについてです。低いドから高いドまで順に一つずつあがるように弾いていくと誰もが知るあの音階ができ上がります。それでははじめの音をドより2つ下のラの音にしてみましょう。するとやはり、暗くて物悲しい響きになるのです。

そこに、私がいつも疑問に思うことがあるのです。
なぜその響きを明るい、または暗いと感じるのか。

悲しい音楽は心のつらい部分に共鳴し、感情にダイレクトにとどいてきます。明るい音楽もまた気持ちに触れ熱を持たせます。
この現象は人が生まれ持った本能のどこかに起因するのか、それともただの文化的な「すりこみ」によるものなのか。諸説あるようですが科学的に断定はできていないようです。
私は前者であって欲しいと思っています。だってすりこみ説って余りに味気ないと思いません?
でも同時にどれが正解なのか真相は謎のまま、というほうがロマンチックで素敵じゃないかとも思うのです。
つらいとき、短調の曲に心を委ねて深い水の中を沈んでいくみたいに力を抜いてみたら、つらさの中に少しばかりでも解放感を得られる気がしませんか?私はそんな音楽がとても好きです。
ときには悲しい音楽に思いきり身を浸して、癒されてみてはどうでしょうか?

K

ふたばの芽~色々なものとの出会い

20160130

人はいろいろなものとの出会いで人生が大きく変わるということがあります。今日はそんな話題をお届けいたします。

「いるかな図書室」が本格的に稼働してだいぶ経ちました。貸出カードを目にしていると・・・本との出会いで何を感じているんだろう?なんて想像してしまうことがあります。そんな私自身も本などとの出会いでいろいろな人達との交流を始めたのでした。

読書とともに趣味の一つになりつつある「筆文字」。Eメール全盛の現代において筆ペンを使った肉筆の文字は何だか心をなごませてくれます。忘れかけていた人の暖かさをも感じてしまうでしょう。私もビジネス書を中心にして読書をしながら、心に響いた言葉を筆ペンで書くことを7年くらい前から始めました。本との出会い・そしてそこに書かれていた言葉との出会いが私の人生を大きく変えていったのでした。それがなければ・・・私の人生は正直言いまして「腐敗」したものになっていたと思います。

本ばかりではありません。歌の歌詞からも元気をもらいました。アニメソングの中には「勇気が湧いてくる」歌詞が散りばめられています。たかがアニメソングと思いがちですが・・・昨今のアニメソングからは何か心に響く言葉が湧き出てきます。

学生時代は読書も書道も好きではありませんでした。特に「読書」は読書感想文が大の苦手だったことを思い出します。社会に出て本を読むようになり、人生が変わっていきました。いるかな図書室にはそんな本たちが待っています。心に響く言葉を探しに来てください。

跳馬諦造(はねうま たいぞう)

ふたばの芽~あっかんべーってしてろし

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私が働きはじめた頃、母は46歳でした。私は、嫌な事があると、母に電話をしました。母は、
「向こうが駄目じゃん。そんなことじゃ困るじゃん。トイレに入ってあっかんべーってしてろし。」
いつも、みかたをしてくれました。いつもは、嫌だなと思っていた方言ですが、悩んでいる時は、暖かく感じられました。

観音様に見えるかな?

観音様に見えるかな?

私が高校生を卒業するまで母は厳しかったです。そんな母も、今は、72歳になりました。私は、嫌な事があっても電話をしなくなりました。心配をかけたくないからです。
景色を見て、観音様と思う機会が増えました。母の励ましの言葉を思い出す事も増えました。

この写真は、私が撮影したものではありません。でもどうしてもみなさんにお見せしたくて、撮影者さんにお願いしました。

(和音)

ふたばの芽〜いすゞK-CJM470-5E

20160119私がバスのファンに成ったきっかけを作ってくれた1台を紹介いたします。地元のバス会社が所有していたい

いすゞK-CJM470-5E(型式の読み方:ケーハイフンシージェイエムよんななまるハイフンファイブイー)。5Eというのは富士重工のボディーの型式です。

当時小学校4年生だった私は、このバスと出会いでバスファンへの道が始まったといっていいほどセンセーショナルな出来事でした。当時は空と雲と虹と熊のキャラクターが描かれたワイド広告・痺れるほどめっちゃいい音を出してくれたエンジン音・当時衝撃を与えたスタイリッシュなボディー。どれをとっても最高のバスでした。

昭和58年にデビューし、平成11年に廃車になりましたが・・・自分の中では「メンター(指導者)」に相応しい車両でした。この車両に出会ってからと言うもの、運用を独自に調べて乗車しては楽しんだ。そんな時間が懐かしく思い出されます。

現在のバスは2000年以降シャーシ(下回り)とエンジンを製造するメーカーの系列の車体メーカーに統一されていますが、1990年代までは車体の製造だけをやっているメーカー(コーチビルダーと言います)が存在していました。
富士重工さんもその1社で、2002年まで生産していました。富士重工さんのボディーは他社と比較して「丈夫(とあるバス会社さん談)」ということで採用されたと言われていますし、エンジン等のメーカーが異なっていてもボディーを統一できるというメリットもあります。
また、バスファンにしてみれば組み合わせにもよりますが「激レア」の車両だって出てきますので、そう言う車両の写真をよく撮影に行ったものでした。

私の若かりし頃の心を掴んで止まなかった最高の大型路線バス・・・忘れることの出来ない思いでの1ページとなっています。

(O)